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かんねんする
2009年09月07日
私達は、毎日、自分(らしさ)を表現するチャンスが沢山与えられている。
しかし、与えられたチャンスをイカしている人は果たしてどれくらいいるだろうか。
せっかくこの世に生を受けたのだから他の誰かと同じ生き方なんてつまんない。何億分の一だからこそ価値が有るし、そこに生まれてきた意味を見いだすことができる。
他人と同じであることを求めたい気持ち、同じで在りたい気持ちは凄くよくわかる。
だけど、自分が生きている証は、違いを受け入れそれを発揮した時にしかイキイキと感じられない。
元々、違うものになれるわけないのだから観念して、ただ、そのままの自分を受け入れる。そして、そのままの自分をそのまま表現する。
その方が、下手に誰かしらの真似をするより、魅力的だし自分の中でもそう感じられるだろう。
自分(らしさ)を表現することは、即ち生きがいのある人生を創ることでもある。自分の人生の主人公は、他の誰でもなく自分自身。手放していた舵をもう一度この手に掴もう

Let’s enjoy your real life('-^*)/
Posted by tsu-ka- at
19:43
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出発
本来の自分に戻る
2009年09月03日
久しぶりの投稿になります



先ほど、忙しいという話をしましたが、その忙しさの中からも成長に繋がるような気づきを得ていますので、後はそれを自分の中に噛み砕いて落とし込んで行けるか


今回は、久しぶりの投稿なんだけど、最近感じていることを書き綴ってみました。感じていることを文字にするのって難しい〜って改めて思いました。日頃の習慣なんだろうな〜

人は誰しも生まれつき(自己)防衛本能を持っている。これは、一生命体として生きて行く為に備わっている大切な機能で、自分の身を外敵だと思われるものから守り、安心安全を確保しようとするものである。
この機能が備わっているおかげで、私達は経験を通して身をを守る術を学び、それをデータベース化して保存することにより、それ以後はそのデータベース化したデータと照合し危険だと思われる場合には防衛本能が働く仕組みとなっている。
このようにして、生命の安心安全を保持しているのである。
何を外敵とするかは、幼い頃に経験した出来事が大きく影響している。その経験が、強烈で有れば有るほどデータベースには危険だから気をつけなさい、と登録されているのである。
この防衛本能の中枢を司るのが無意識と呼ばれている領域になる。コンピューターで例えるなら、いわゆる、メインコンピューターだ。この中枢のメインコンピューターは、過去に経験した辛く苦しく悲しい経験を二度としないように、私達の身を危険から守るよう指令を出している。
しかし、メインコンピューターの判断は、過去の経験をデータベース化したものの中から照合し、決定される。そうなると誤作動とまではいかないまでも、常に正しい判断をしているかどうかは疑問である。
過去のデータベースに照らし合わせてしまうということは、過去から現在までの成長を考慮していない。昔の状態でただただ大きくなっただけと見なしているようなものだ。しかし、私達は経験を通して成長するし年を重ねて行く過程で様々な英知を身に付ける。
だから、もしかしたら本当は必要ない場面に於いても自己防衛本能が働いてしまっているかもしれない。
外敵ではないものを(メインコンピューターが)勝手に外敵だと判断してしまっているのだ。メインコンピューターが一旦そういう判断を下すと、それに付随する端末コンピューターである防衛本能はその命令に従うしかない。防衛本能が働くと、本当なら身を守る必要ない場面であったとしても意固地になって身を守ろうとしてしまう。
面白いことに、メインコンピューターが下した判断がおかしいものであったとしても、当の本人はなかなか気付かないし、もし、気付いていたとしても見ない、見えない振りをすることが多い(笑)
なぜなら、例え間違った反応であったとしてもこれまでと同じ様に反応していたら、この先もどうなるのかある程度は予測が付く。しかし、万が一これまでと違う反応(防衛本能を働かせないで自分で反応を選択する)をした場合は、自分がどの様な状況に於かれてしまうのか不安で不安でたまらない。もしかしたら、自分が予想だにしていなかった行動を取ってしまうかもしれない。更に、目の前にいる人達からはこれまでと違った目で見られてしまう可能性だって大いにある。
この様な状況だけは絶対に避けなければならない…。
この様な理由から、私の場合は防衛本能が働くままに(抵抗することなく)、行動をしてきた。
ただ、そろそろ卒業の時期だと感じています。もっと自分自身のことを信じて上げても良いと想うし同じ様に、周りの人達を信頼しても良いと思う。
どうなるか分からない状況というのは物凄く不安だけど、何が起ころうとも自分は自分だ。それは変わらない。そして、こんな自分でも信じて助けてくれる人もいる。これまでは、自分像を理想化しすぎていた為に足が地に付いていなかった。だから、フラフラとさまようことが多かったし、違う自分を演じていた。
大切なことは、違う誰かになることではなくて、本来の自分に戻ること。
それが、始まりであり全てだと思う

Posted by tsu-ka- at
20:28
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ペンション
マトリックスかぁ〜
2009年08月15日
自分の目で見たことが全て真実なんて思っていませんか
何を持って真実と呼ぶかはありますが、例えば、普遍的なものを真実であると仮定した場合、目の前に在るものは真実となりうるのでしょうか?
目の前にある
は誰の目から見ても
であるはず
と考えてしまいます。果たして本当にそうなんでしょうか
私たちは物事を考える時、大抵は自分の視点で考えます。自分の視点で見るのと他の人が見るのは同じであるはずだと。これは間違いとは言えないまでも不確実性を大いに残していると言えます。他人も全く同じように見えていると本当に言い切れるのでしょうか。
更に言えば、人間の視点とそれ以外の動物の視点が同じであるとは言えないのではないでしょうか。
そう考えれば、私たちが普遍的と考えていることも実はそうではないということが見えてきます。
ただ単にその人自身が創り出した仮想の現実を真実と思い込んでいるだけ。仮想現実=真実、となっているわけです。
私たちの思い込みが真実を成しているとするなら、言い換えれば真実はいかようにも創ることが可能であると言えます
これってとても大きな希望ですよね
昨晩、職場の先輩と
片手にこんな話をしていました(笑)

何を持って真実と呼ぶかはありますが、例えば、普遍的なものを真実であると仮定した場合、目の前に在るものは真実となりうるのでしょうか?
目の前にある




私たちは物事を考える時、大抵は自分の視点で考えます。自分の視点で見るのと他の人が見るのは同じであるはずだと。これは間違いとは言えないまでも不確実性を大いに残していると言えます。他人も全く同じように見えていると本当に言い切れるのでしょうか。
更に言えば、人間の視点とそれ以外の動物の視点が同じであるとは言えないのではないでしょうか。
そう考えれば、私たちが普遍的と考えていることも実はそうではないということが見えてきます。
ただ単にその人自身が創り出した仮想の現実を真実と思い込んでいるだけ。仮想現実=真実、となっているわけです。
私たちの思い込みが真実を成しているとするなら、言い換えれば真実はいかようにも創ることが可能であると言えます
これってとても大きな希望ですよね

昨晩、職場の先輩と

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07:12
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ありがたいこと
2009年08月12日
普段、身の回りで当たり前のように起こっていることや、有るもの等について、感謝の想いをどれだけ持っているでしょうか。
余りにも当たり前過ぎて、『ありがたい』と想う人は少ないように思います。
当たり前のように在るもの、在る人、在る関係、在る想いetc.。
そして、それがあたかも永遠に続くかの如くに考えている。少なくとも今直ぐには無くなることはないだろうと思っている。
果たして、本当にそうなんでしょうか
最初の頃は、ありがたいことだと思っていたはずです。しかし、それが長く続いてくると次第にそのありがたさも忘れて、仕舞にはそのこと自体についても記憶の彼方に行ってしまっている。
仕方のないこと。と言えばそうかもしれませ…。心配しなくてもこれまでずっと来られたので、今後も同じように行くだろうと考えることは自然です。
しかし、本当にそうなんでしょうか
本来、ありがたいことは『有り難い』こと。 読んで字の如く、有ることが難しいと言うのが元々の意味。だからこそ、その存在に感謝する気持ちが沸いてきてありがたいという想いになるのである。
もし、明日世界中の空気がなくなったらどうしますか? もし、明日あなたの大切な人がいなくなったららどうしますか? もし、明日あなたの体の一部がなくなっていたらどうしますか?
失った後にその物が自分の中でどれだけ大きな存在だったのか、どれだけ大きな意味を成していたかを知ったとしても全ては後の祭り。どうすることもできません。
だからこそ、感謝できる時に十分感謝しその想いを伝えることは大切です。それが結局のところ、悔いの無い満足した人生を送ることにも繋がってくるんだろうと思います。
余りにも当たり前過ぎて、『ありがたい』と想う人は少ないように思います。
当たり前のように在るもの、在る人、在る関係、在る想いetc.。
そして、それがあたかも永遠に続くかの如くに考えている。少なくとも今直ぐには無くなることはないだろうと思っている。
果たして、本当にそうなんでしょうか

最初の頃は、ありがたいことだと思っていたはずです。しかし、それが長く続いてくると次第にそのありがたさも忘れて、仕舞にはそのこと自体についても記憶の彼方に行ってしまっている。
仕方のないこと。と言えばそうかもしれませ…。心配しなくてもこれまでずっと来られたので、今後も同じように行くだろうと考えることは自然です。
しかし、本当にそうなんでしょうか

本来、ありがたいことは『有り難い』こと。 読んで字の如く、有ることが難しいと言うのが元々の意味。だからこそ、その存在に感謝する気持ちが沸いてきてありがたいという想いになるのである。
もし、明日世界中の空気がなくなったらどうしますか? もし、明日あなたの大切な人がいなくなったららどうしますか? もし、明日あなたの体の一部がなくなっていたらどうしますか?
失った後にその物が自分の中でどれだけ大きな存在だったのか、どれだけ大きな意味を成していたかを知ったとしても全ては後の祭り。どうすることもできません。
だからこそ、感謝できる時に十分感謝しその想いを伝えることは大切です。それが結局のところ、悔いの無い満足した人生を送ることにも繋がってくるんだろうと思います。
Posted by tsu-ka- at
18:39
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自信がないから…
2009年08月07日
自信がある
時は、誰だって比較的簡単に行動を起こすことができますね。
では、自信が無いときはどうだろう
どうしていることが多いだろうか
自信がない
ことを理由にして行動を起こさないことが多いのではないか。自信が付くまで待とう。そしたら行動を起こそう。と考えているのだと思う。
その気持ちはよく理解できるし、自分もその様に行動していました。ただ、自分の経験上その様な日が訪れることは非常に少ないし、例え訪れたとしても別のことを理由にして行動を起こさないことは、日を観るより明らかだ。
いま、行動を起こさない(起こせない)のに後日、行動を起こせる確率はかなり低い。さらには、自信なんてものはいつもMAXで在り続けるなんてことは、普通の人だと不可能に近い。その目盛りは常に変動している。
だから、今後はこのように考えてみてはどうだろうか
いま、行動を起こさない場合は、今後も起こさないだろうという前提で考えるようにする。良い意味での諦め、潔さである。今後、行動を起こすことに対して自分自身に期待しないし、それに執着しないようにする。
または、自信なんてものに期待せずに、自信が無い状態のままでとりあえず行動を起こす。自信が無くてもそのことを楽しんでやることは可能です。『自信』と『楽しむ』ことは相関関係にあることは間違いないと思いますが、一致するものだとは思いません。
自信が無くても、十分楽しむことはできます。だから、楽しむことをメインにして行動を起こすのです。その際は、結果に執着せずに結果は在るがままに受け入れるようにし、そのプロセスを大切にするように心掛ける。
自信が無いからこそ、行動を起こす。
これって、これまでの常識から外れた行為だと思います。
でも、自信がある時に行動を起こすのは当たり前
自信が無いからこそあえて行動を起こす
あっ、俺ってカッコイいかも(爆)
オレってビッグ
はい、以上です
いかがですか
もし、よければお試しあれ

では、自信が無いときはどうだろう


自信がない

その気持ちはよく理解できるし、自分もその様に行動していました。ただ、自分の経験上その様な日が訪れることは非常に少ないし、例え訪れたとしても別のことを理由にして行動を起こさないことは、日を観るより明らかだ。
いま、行動を起こさない(起こせない)のに後日、行動を起こせる確率はかなり低い。さらには、自信なんてものはいつもMAXで在り続けるなんてことは、普通の人だと不可能に近い。その目盛りは常に変動している。
だから、今後はこのように考えてみてはどうだろうか

いま、行動を起こさない場合は、今後も起こさないだろうという前提で考えるようにする。良い意味での諦め、潔さである。今後、行動を起こすことに対して自分自身に期待しないし、それに執着しないようにする。
または、自信なんてものに期待せずに、自信が無い状態のままでとりあえず行動を起こす。自信が無くてもそのことを楽しんでやることは可能です。『自信』と『楽しむ』ことは相関関係にあることは間違いないと思いますが、一致するものだとは思いません。
自信が無くても、十分楽しむことはできます。だから、楽しむことをメインにして行動を起こすのです。その際は、結果に執着せずに結果は在るがままに受け入れるようにし、そのプロセスを大切にするように心掛ける。
自信が無いからこそ、行動を起こす。
これって、これまでの常識から外れた行為だと思います。
でも、自信がある時に行動を起こすのは当たり前

自信が無いからこそあえて行動を起こす

あっ、俺ってカッコイいかも(爆)
オレってビッグ

はい、以上です


もし、よければお試しあれ

Posted by tsu-ka- at
19:23
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身体は知っている
2009年08月03日
本当にしたいことはなんだろう
頭で考えるのではなくて、身体で感じて見よう
身体の感覚に意識を集中して身体からの応えを聴いて見よう
もしかすると、思いがけない応えが返って来るかも




Posted by tsu-ka- at
18:26
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頑張らない・考えない
2009年08月02日
キジムナ〜フェスタが昨日から始まりましたね
インプロ(即興劇)のワークショップに参加してきました
童心に返って楽しんできました
いや〜楽しかった
日頃、忘れていた(押し殺していた
)ものを全て解き放った
とまでは行かなかったかもしれませんが
、かなりの部分が解消された感じです
(奈穂さん、ありがとうごさいました
)
昨日は、頑張らないと言うことと考え(過ぎ)ないと言うことを自分の中でのテーマにしました。最初から考えていた訳ではなくて、遣って行く中で、あっ
、これを今日のテーマにしようと言う感じで閃いたので決めました。
私たちは、子どもから大人に成長する過程で良識・常識というものを学び身につけ、それが基準となりそれに沿って行動していくようになります。
それは同時に、子どもの時に持っていた好奇心やイタズラ心、無邪気な気持ちといったものを心の奥にしまってしまうことでもあります。
良識・常識を身につけるとことは、大人として社会生活して行くためにはとても大切なことです。でも、それを身につけることは、子どもの時の好奇心などに従って自由に行動することを自制、制限することにも繋がります。
というのも、子どもの時のように好奇心などに従って行動してしまうと、周りと違うし目立って浮いてしまう。和を乱してしまっていると考えてしまうからです。本来ならそれでも良いはずなんだけど、子どもの頃は全然そんなこと気にならなかったはずなんだけど、良識・常識を身につけてしまった大人になると、それが間違い若しくはとても恥ずかしいことのように思えてくる。
子どもの時には大人になると、可能性の扉は無限に広がっていくだろうと考え憧れていた人は沢山いたはずなのに、現実は、良識・常識と引き換えに可能性、創造性を狭めてしまっている。しかもそれに気付かずに、ただ頑張っている人も多々いる。
もちろん、良識・常識は大人、社会人として必要なことではあるが、同じくらいかそれ以上に子どもの時に発揮していた好奇心などの才能も必要。
大人になる成長過程で、それらが無くなった訳ではない。心の奥にしまっているから、忘れてしまっているだけ。それをもう一度大人の自分が発揮すれば良いのだ
そのために必要なことは、『頑張らない・考えない』ということ。
頑張るというと、何か良さそうなイメージがあるかもしれないが、好奇心などとはベクトルの方向は逆である。頑張れば頑張るほど、好奇心などの素晴らしい力を発揮できなくなる。また、考えないということについては、よく考えることは良いことであると思われがちであるが、考えてしまうと動けなくなってしまったり考えることに悩んでしまう人もいる。
結論を言えば、童心に返るということが一番手っ取り早い方法だと思う。昨日も八歳の子どもが一緒に参加していたのですが、天真爛漫、好奇心旺盛で自分の感情の赴くままに行動していました

良い意味で、ワガママ自分勝手。だけど、そうじゃないと良い発想や思い、考えというのは浮かんでこないと思います。
私たち大人が忘れてしまっている大切なことがあるとすれば、社会基準などの枠に囚われて子どもの頃に発揮していたワクワクした想いが一つではないかと思う。それは、様々な困難をも突破させてくれるとても大きな原動力ともなる。
その忘れていた大切な想いを感じさせ、原点回帰の大切さを実感させてくれたのが昨日のワークショップでした。
『頑張らない・考えない』を実践して行きます


インプロ(即興劇)のワークショップに参加してきました

童心に返って楽しんできました







昨日は、頑張らないと言うことと考え(過ぎ)ないと言うことを自分の中でのテーマにしました。最初から考えていた訳ではなくて、遣って行く中で、あっ

私たちは、子どもから大人に成長する過程で良識・常識というものを学び身につけ、それが基準となりそれに沿って行動していくようになります。
それは同時に、子どもの時に持っていた好奇心やイタズラ心、無邪気な気持ちといったものを心の奥にしまってしまうことでもあります。
良識・常識を身につけるとことは、大人として社会生活して行くためにはとても大切なことです。でも、それを身につけることは、子どもの時の好奇心などに従って自由に行動することを自制、制限することにも繋がります。
というのも、子どもの時のように好奇心などに従って行動してしまうと、周りと違うし目立って浮いてしまう。和を乱してしまっていると考えてしまうからです。本来ならそれでも良いはずなんだけど、子どもの頃は全然そんなこと気にならなかったはずなんだけど、良識・常識を身につけてしまった大人になると、それが間違い若しくはとても恥ずかしいことのように思えてくる。
子どもの時には大人になると、可能性の扉は無限に広がっていくだろうと考え憧れていた人は沢山いたはずなのに、現実は、良識・常識と引き換えに可能性、創造性を狭めてしまっている。しかもそれに気付かずに、ただ頑張っている人も多々いる。
もちろん、良識・常識は大人、社会人として必要なことではあるが、同じくらいかそれ以上に子どもの時に発揮していた好奇心などの才能も必要。
大人になる成長過程で、それらが無くなった訳ではない。心の奥にしまっているから、忘れてしまっているだけ。それをもう一度大人の自分が発揮すれば良いのだ

そのために必要なことは、『頑張らない・考えない』ということ。
頑張るというと、何か良さそうなイメージがあるかもしれないが、好奇心などとはベクトルの方向は逆である。頑張れば頑張るほど、好奇心などの素晴らしい力を発揮できなくなる。また、考えないということについては、よく考えることは良いことであると思われがちであるが、考えてしまうと動けなくなってしまったり考えることに悩んでしまう人もいる。
結論を言えば、童心に返るということが一番手っ取り早い方法だと思う。昨日も八歳の子どもが一緒に参加していたのですが、天真爛漫、好奇心旺盛で自分の感情の赴くままに行動していました



私たち大人が忘れてしまっている大切なことがあるとすれば、社会基準などの枠に囚われて子どもの頃に発揮していたワクワクした想いが一つではないかと思う。それは、様々な困難をも突破させてくれるとても大きな原動力ともなる。
その忘れていた大切な想いを感じさせ、原点回帰の大切さを実感させてくれたのが昨日のワークショップでした。
『頑張らない・考えない』を実践して行きます


Posted by tsu-ka- at
14:39
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緊張する人しない人
2009年07月30日
会った時に緊張する人としない人がいる。
同じ場所・時間帯なのに会う相手次第で緊張の度合いが違うことがあるのは、何が理由なんだろう。
外的な条件が同じでも緊張する人としない人がいると言うことは、違いを生む違いは、私の内的な条件にあると思われる。
さて、その違いを生む違いとは何ぞや
続きはまた、明日
同じ場所・時間帯なのに会う相手次第で緊張の度合いが違うことがあるのは、何が理由なんだろう。
外的な条件が同じでも緊張する人としない人がいると言うことは、違いを生む違いは、私の内的な条件にあると思われる。
さて、その違いを生む違いとは何ぞや

続きはまた、明日

Posted by tsu-ka- at
23:21
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脱はだかの王様
2009年07月29日
周りにいる人を見渡してみよう
自分の欠点を伝えて(フィードバックして)くれる人はどれだけいるだろう
そして、自分は相手に相手の欠点をフィードバックしているだろうか
その人への揺るぎない想いだとか尊敬や憧れの念が有れば、良い面だけを伝えるのではなくて、その人の影の部分も伝えて上げることができる。
伝えることで、その人が凹んだり怒ったとしても、そこに『愛』が有ればその人もきっと理解してくれるはずだし、逆に感謝されることだってあるはずだ。
誉める持ち上げることは、誰にでもできることであるが、欠点をフィードバックして上げることは、誰にでもできることではない
誉めて持ち上げているだけの関係は、表面的な薄っぺらい関係でいつかはそのメッキもはがれてくる。
でも、その人のことを想って欠点をフィードバックして上げることができる関係というのは、深い絆で結びついているのでそう簡単にははがれない。
できることなら、良い面だけを伝えて欲しいという想いは誰しもが持っている。そして、欠点をフィードバックしてしまうと関係が壊れてしまうのではないかとの思いも。
結論から言えば、欠点をフィードバックしたくらいで終わってしまうような関係であれば、この先も長続きしなかっただろうと思うし、良い面だけを伝えるだけじゃ、本人の成長にも繋がらない。優しさのつもりで遣っていることかもしれないが、本人の為を想うのならちゃんと伝えて上げるべきである。長いスパンで考えたらその方が本人の為になる。
さぁ、もう一度自分の周りを見渡してみよう。
誉めて持ち上げてくれる人ばかりだったら要注意かも

自分の欠点を伝えて(フィードバックして)くれる人はどれだけいるだろう


その人への揺るぎない想いだとか尊敬や憧れの念が有れば、良い面だけを伝えるのではなくて、その人の影の部分も伝えて上げることができる。
伝えることで、その人が凹んだり怒ったとしても、そこに『愛』が有ればその人もきっと理解してくれるはずだし、逆に感謝されることだってあるはずだ。
誉める持ち上げることは、誰にでもできることであるが、欠点をフィードバックして上げることは、誰にでもできることではない

誉めて持ち上げているだけの関係は、表面的な薄っぺらい関係でいつかはそのメッキもはがれてくる。
でも、その人のことを想って欠点をフィードバックして上げることができる関係というのは、深い絆で結びついているのでそう簡単にははがれない。
できることなら、良い面だけを伝えて欲しいという想いは誰しもが持っている。そして、欠点をフィードバックしてしまうと関係が壊れてしまうのではないかとの思いも。
結論から言えば、欠点をフィードバックしたくらいで終わってしまうような関係であれば、この先も長続きしなかっただろうと思うし、良い面だけを伝えるだけじゃ、本人の成長にも繋がらない。優しさのつもりで遣っていることかもしれないが、本人の為を想うのならちゃんと伝えて上げるべきである。長いスパンで考えたらその方が本人の為になる。
さぁ、もう一度自分の周りを見渡してみよう。
誉めて持ち上げてくれる人ばかりだったら要注意かも

Posted by tsu-ka- at
19:07
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声なき声を聴く
2009年07月25日
もうすぐ、衆議院議員選挙ですね。各党が独自のマニュフェスト(選挙公約)を掲げて選挙戦を戦って行くことでしょう。
各党が出してくるマニュフェストは、私たち国民に対して聞こえの良いものが多くなることが予想されます。国民に支持を訴えていく訳ですから当たり前ですね。
この時、私たちに求められている大切な基本姿勢というのは、行間を読む・感じると言うことである。
この政策の裏(背景)には、こういうことが隠されているんだ。いずれはこういうことをしようとしているんだ。と言うような、言葉の裏に隠されている意図を汲み取る力が求められている。
もちろん、一朝一夕で出来るようなことではないし、経験や知識が必要なことは言うまでもない。
ただ、常日頃からこういうことがあると言うことを意識しておくと、今後、各党から出されるであろうマニュフェストに対する接し方も変わってくるだろう。
同じようなことが、コーチングやセラピーでも言える。
クライアントの言葉にならない言葉をどれだけ汲み取り受け止めて上げることが出来るか。
クライアントの発する言葉か必ずしも本音であるとは限らないし、例え本音であったとしてもその奥に更に何かしら隠れている可能性は多いにある。
私自身もコーチを目指している一人ですが、この基本姿勢はいつも心の奥に留めておきたいと思う。
各党が出してくるマニュフェストは、私たち国民に対して聞こえの良いものが多くなることが予想されます。国民に支持を訴えていく訳ですから当たり前ですね。
この時、私たちに求められている大切な基本姿勢というのは、行間を読む・感じると言うことである。
この政策の裏(背景)には、こういうことが隠されているんだ。いずれはこういうことをしようとしているんだ。と言うような、言葉の裏に隠されている意図を汲み取る力が求められている。
もちろん、一朝一夕で出来るようなことではないし、経験や知識が必要なことは言うまでもない。
ただ、常日頃からこういうことがあると言うことを意識しておくと、今後、各党から出されるであろうマニュフェストに対する接し方も変わってくるだろう。
同じようなことが、コーチングやセラピーでも言える。
クライアントの言葉にならない言葉をどれだけ汲み取り受け止めて上げることが出来るか。
クライアントの発する言葉か必ずしも本音であるとは限らないし、例え本音であったとしてもその奥に更に何かしら隠れている可能性は多いにある。
私自身もコーチを目指している一人ですが、この基本姿勢はいつも心の奥に留めておきたいと思う。
Posted by tsu-ka- at
07:17
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ご褒美
2009年07月24日
頑張った自分に対してご褒美を上げていますか
モチベーションを継続させていくための一つの手段として、自分へのご褒美はとても効果が高いと思います。また、もし、凹んでいるのであれば、それから回復する手段としても有効です。
ご褒美は何も物とは限りません。何かする(しない)ことを許可したりまたは、自分自身への労いや励ましの言葉であっても良いわけです。
要は、それを適切なタイミングで実行すると言うことです。そうすることで、より一層高い効果が期待できます。
それでは、適切なタイミングとはいつなのか
と言うことですが…
あっ、タイミング(時期)があるので、頻繁にしていると次第にその効果は薄らいで行きます。気をつけましょう
そのタイミングとは…
いまの自分にとってこれをすることは勇気がいる。また、勇気とまではいかないにしても、現状レベルを超えてのチャレンジである。
この様なことをした時には、その結果に関係なくその日に、遅くとも3日以内に、頑張った自分自身へご褒美を上げて欲しい。そうすれば、その結果が良かろうが悪かろうが、モチベーションはアップ若しくは維持できます。
行動を起こす上でモチベーションが重要な役割を果たしていることについては、もはや説明の必要はないところでしょう。
そのモチベーションに関係しているのがご褒美なのです
私の、自分自身へのご褒美はパスタ
です
パスタ好きな私ですが、カロリーが気になるお年頃なので(笑) 、こういう時にしか食べないようにしています
さてさて、そろそろ小腹もすいてきた頃なので、パスタ
食べてきま〜す

モチベーションを継続させていくための一つの手段として、自分へのご褒美はとても効果が高いと思います。また、もし、凹んでいるのであれば、それから回復する手段としても有効です。
ご褒美は何も物とは限りません。何かする(しない)ことを許可したりまたは、自分自身への労いや励ましの言葉であっても良いわけです。
要は、それを適切なタイミングで実行すると言うことです。そうすることで、より一層高い効果が期待できます。
それでは、適切なタイミングとはいつなのか

あっ、タイミング(時期)があるので、頻繁にしていると次第にその効果は薄らいで行きます。気をつけましょう

そのタイミングとは…
いまの自分にとってこれをすることは勇気がいる。また、勇気とまではいかないにしても、現状レベルを超えてのチャレンジである。
この様なことをした時には、その結果に関係なくその日に、遅くとも3日以内に、頑張った自分自身へご褒美を上げて欲しい。そうすれば、その結果が良かろうが悪かろうが、モチベーションはアップ若しくは維持できます。
行動を起こす上でモチベーションが重要な役割を果たしていることについては、もはや説明の必要はないところでしょう。
そのモチベーションに関係しているのがご褒美なのです

私の、自分自身へのご褒美はパスタ



さてさて、そろそろ小腹もすいてきた頃なので、パスタ


Posted by tsu-ka- at
18:41
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隠さない
2009年07月23日
恥ずかしいと思っていることが自分の行動などにあると、つい思わず、さっと後ろに隠したくなる
これは、無意識的に遣っていることが多いので、あえて意識しないと気付かない。
その変なクセを治すことにチャレンジしてみませんか
意識してあえて手を後ろに動かさないでジッとしている。
ガマンガマン
そうすることは、その人にとってとても恥ずかしく赤面するようなことなのかもしれない。更に、みんなに注目され嘲笑されるかもしれないことなので、恐さや恥ずかしさもドッと押し寄せてくるだろう。
これまでは、どうしても避けて通りたかった道。出来ることなら、一生通りたくなかった道です。
そんな恐ろしく怖い恥ずかしさも伴う道だけど、『勇気と希望、そして笑いのセンス』を持ってチャレンジしてみてみませんか!
結局のところ、この道を通らないと、成長への道に繋がって行かないし、何度となく手を変え品を買え現れてくる。
いずれ通らなければならない道ならば、いまここでクリアしようじゃありませんか
未知な部分が多い道だけに不安が大きいと思うけど、これにチャレンジすることで、これまで以上に自分に対して自信が持てる(沸いてくる)ようになる。
大切なことは、最初から
を狙わないこと。遣ることに意味が有るし、上手く遣れなかったとしても、チャレンジした自分を認め受け入れて欲しい。
その思いを忘れなければ、自然と満ち足りた気持ちになってくるはずである
さぁ、遣る
それとも遣らない
ファイナルアンサー

その変なクセを治すことにチャレンジしてみませんか

意識してあえて手を後ろに動かさないでジッとしている。
ガマンガマン

そうすることは、その人にとってとても恥ずかしく赤面するようなことなのかもしれない。更に、みんなに注目され嘲笑されるかもしれないことなので、恐さや恥ずかしさもドッと押し寄せてくるだろう。
これまでは、どうしても避けて通りたかった道。出来ることなら、一生通りたくなかった道です。
そんな恐ろしく怖い恥ずかしさも伴う道だけど、『勇気と希望、そして笑いのセンス』を持ってチャレンジしてみてみませんか!
結局のところ、この道を通らないと、成長への道に繋がって行かないし、何度となく手を変え品を買え現れてくる。
いずれ通らなければならない道ならば、いまここでクリアしようじゃありませんか

未知な部分が多い道だけに不安が大きいと思うけど、これにチャレンジすることで、これまで以上に自分に対して自信が持てる(沸いてくる)ようになる。
大切なことは、最初から

その思いを忘れなければ、自然と満ち足りた気持ちになってくるはずである

さぁ、遣る


ファイナルアンサー

Posted by tsu-ka- at
19:37
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YESから始める
2009年07月22日
日常生活の会話の中で無意識に知らず知らずのうちに、相手が言うことを否定していることって案外多い。
例えば、○○さんならきっと出来ると思うよ!と言われても、それに対する返事は先ずは否定から入る。
そんなことはないよ。でも、頑張ってみるね!と言う感じである。
私たちは、自分自身のことをあえて下げて(低く)言うことがある。それは、そうすることでその後のことが上手く行かなかった時の言い訳になり楽だから。
逆に、相手に言われたことを素直に受け入れてしまうと、その後は、その自分を演じなければならない。それはこれまでに経験したことが少ないだけに、出来ることなら避けたいことでもある。
だから、否定するのである。
だけど、これまでと同じ自分を幾ら演じていても成長に繋がることは少ない。 成長するためには、どこかで思い切ってこれまでの自分と決別し、未知の世界へ飛び込む冒険が必要かもしれない。
その手始めとしてお勧めしたいのが、相手が話したことを受け入れて、それを発展させていくコミュニケーションを取ることである。
先ほども話をしたが、私たちは相手が話したことを素直に受け入れるということが出来ない場合がある。否定クセがついているのである。
クセを治すには地道に新しい習慣を取り入れていくしかない。
その新しい習慣に当たるのが、相手の話したことを受け入れることである。最初は意識しないと、無意識に否定してしまっていることがあるので、意識して受け入れることをしてみる。
いつもとは違うことをするわけだから、なかなか思い通りには行かないだろう。しかし、これは慣れないことをしているから当たり前のことで、これを続けて行くことで、筋力を付けるように少しずつ少しずつ(対応)力が付いてくるのである。
相手の話したことを受け入れることって簡単そうに見えて意外と難しい。是非とも、明日、会話の中で自分は相手のことを受け入れているのかを意識してみて欲しい!
例えば、○○さんならきっと出来ると思うよ!と言われても、それに対する返事は先ずは否定から入る。
そんなことはないよ。でも、頑張ってみるね!と言う感じである。
私たちは、自分自身のことをあえて下げて(低く)言うことがある。それは、そうすることでその後のことが上手く行かなかった時の言い訳になり楽だから。
逆に、相手に言われたことを素直に受け入れてしまうと、その後は、その自分を演じなければならない。それはこれまでに経験したことが少ないだけに、出来ることなら避けたいことでもある。
だから、否定するのである。
だけど、これまでと同じ自分を幾ら演じていても成長に繋がることは少ない。 成長するためには、どこかで思い切ってこれまでの自分と決別し、未知の世界へ飛び込む冒険が必要かもしれない。
その手始めとしてお勧めしたいのが、相手が話したことを受け入れて、それを発展させていくコミュニケーションを取ることである。
先ほども話をしたが、私たちは相手が話したことを素直に受け入れるということが出来ない場合がある。否定クセがついているのである。
クセを治すには地道に新しい習慣を取り入れていくしかない。
その新しい習慣に当たるのが、相手の話したことを受け入れることである。最初は意識しないと、無意識に否定してしまっていることがあるので、意識して受け入れることをしてみる。
いつもとは違うことをするわけだから、なかなか思い通りには行かないだろう。しかし、これは慣れないことをしているから当たり前のことで、これを続けて行くことで、筋力を付けるように少しずつ少しずつ(対応)力が付いてくるのである。
相手の話したことを受け入れることって簡単そうに見えて意外と難しい。是非とも、明日、会話の中で自分は相手のことを受け入れているのかを意識してみて欲しい!
Posted by tsu-ka- at
22:27
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叱り方
2009年07月21日
先週、放送されていたテレビ番組で面白い叱り方が紹介されていました
ちなみに、この番組は叱り方を紹介する番組ではなくて、子育て(英才教育)についての番組です。
さて、その叱り方ですが…
どの様に叱ると思いますか
子どもが勉強などをさぼったり、テストでの点数が悪かったりすると、次のように叱ります
『才能の出し惜しみをするな
』
この様に叱られると、叱られた方も悪い気はしない
でしょうし、むしろ、その人のセルフイメージを高める効果もあると思います
自分もこの様に叱られると、凹むんじゃなくてやる気に満ち溢れてくると思います。
誰か、叱ってくれませんか
(笑)

さて、その叱り方ですが…
どの様に叱ると思いますか

子どもが勉強などをさぼったり、テストでの点数が悪かったりすると、次のように叱ります

『才能の出し惜しみをするな

この様に叱られると、叱られた方も悪い気はしない


自分もこの様に叱られると、凹むんじゃなくてやる気に満ち溢れてくると思います。
誰か、叱ってくれませんか

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12:43
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他人(ひと)ごと
2009年07月20日
何かしら悩んだり苦しんだりしている時って、悩みの対象を自分ごととして捉えてしまっていることが多い。
それを他人(ひと)ごととして考えられる視点を持つことが出来たら、少しは楽になれるのではないかと思う。
例えば、ロールプレイングゲームで考えた場合、普通にプレイするときは、多少の困難が待ち構えていたとしても大胆に行動出来るのではないだろうか。
しかし、もしも、自分自身がゲームの中のプレーヤーと一心同体だとしたらどうだろう。
先ほどのような大胆な行動を取れるだろうか
この違いが、自分ごとで考えるのと他人(ひと)ごとで考えるのとの違いである。
悩みや苦しみに遭遇した時には、他人(ひと)ごとで全体を見渡す視点が必要。そうすることで、起こっていることを冷静に見て客観的に判断が出来るようになる。
今後、困難なことにぶつかったら、ロールプレイングゲームのことを思い出し、自分は今どのポジションにいるのかを考えるようにしたい
それを他人(ひと)ごととして考えられる視点を持つことが出来たら、少しは楽になれるのではないかと思う。
例えば、ロールプレイングゲームで考えた場合、普通にプレイするときは、多少の困難が待ち構えていたとしても大胆に行動出来るのではないだろうか。
しかし、もしも、自分自身がゲームの中のプレーヤーと一心同体だとしたらどうだろう。
先ほどのような大胆な行動を取れるだろうか

この違いが、自分ごとで考えるのと他人(ひと)ごとで考えるのとの違いである。
悩みや苦しみに遭遇した時には、他人(ひと)ごとで全体を見渡す視点が必要。そうすることで、起こっていることを冷静に見て客観的に判断が出来るようになる。
今後、困難なことにぶつかったら、ロールプレイングゲームのことを思い出し、自分は今どのポジションにいるのかを考えるようにしたい

Posted by tsu-ka- at
18:42
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ついに…
2009年07月20日
昨日、ついにうちの両親と彼女のご両親の初顔合わせが実現しました
最初はお互いに緊張している感じでしたが、時間が経つにつれて打ち解けて楽しそうに和気藹々と話をしていたので、ホッとしました
後は、大きなイベント(祭り)へ向けて突き進むのみ


最初はお互いに緊張している感じでしたが、時間が経つにつれて打ち解けて楽しそうに和気藹々と話をしていたので、ホッとしました

後は、大きなイベント(祭り)へ向けて突き進むのみ

Posted by tsu-ka- at
18:10
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10000件突破
扉が開きつつある
2009年07月19日
今日は仕事が終わってから、インプロ(即興劇)に行ってきました
今回は、前回に増して個性的で楽しい方が多いので、まだ始まったばかりですが毎回刺激的で最高に楽しいです
インプロをしていると自分が自分ではないのではないかと感じられる瞬間があります。神が降りてきたのではないかと思うくらい(大袈裟に言えばね)。これって、本来の自分・在りのままの自分と繋がっている時なんだと思います。
本来の自分と繋がる感覚、つまり、本来の自分と繋がるための扉が開く感覚というのが、自分の中で少しずつ感じられるようになってきました。
と言うか、これまでは閉まっていただろうと思われるこの扉。インプロを始めてから少しずつ少しずつ開いてきました
本来の自分と繋がる感覚は、一度体験するとやみつきになります。あの感覚を求めてインプロを遣っていると言っても過言ではないかも。
アル中ならぬインプロ中毒ですね
そうそう。
本来の自分と繋がる感覚って忘れていた感覚なんですよね。子どもの頃に感じていたあの感覚です。何か難しいものを身に付けると言うわけではないのです。
更に、インプロの場だけではなく、最近は普段の生活においてもこの感覚が感じられるようになってきているので、扉が全開する日も近い気がします。
扉が全開になった日、私の第二章が始まります
いよいよです
なんてね

今回は、前回に増して個性的で楽しい方が多いので、まだ始まったばかりですが毎回刺激的で最高に楽しいです

インプロをしていると自分が自分ではないのではないかと感じられる瞬間があります。神が降りてきたのではないかと思うくらい(大袈裟に言えばね)。これって、本来の自分・在りのままの自分と繋がっている時なんだと思います。
本来の自分と繋がる感覚、つまり、本来の自分と繋がるための扉が開く感覚というのが、自分の中で少しずつ感じられるようになってきました。
と言うか、これまでは閉まっていただろうと思われるこの扉。インプロを始めてから少しずつ少しずつ開いてきました

本来の自分と繋がる感覚は、一度体験するとやみつきになります。あの感覚を求めてインプロを遣っていると言っても過言ではないかも。
アル中ならぬインプロ中毒ですね

そうそう。
本来の自分と繋がる感覚って忘れていた感覚なんですよね。子どもの頃に感じていたあの感覚です。何か難しいものを身に付けると言うわけではないのです。
更に、インプロの場だけではなく、最近は普段の生活においてもこの感覚が感じられるようになってきているので、扉が全開する日も近い気がします。
扉が全開になった日、私の第二章が始まります


なんてね

Posted by tsu-ka- at
20:54
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