
本来の自分に戻る
2009年09月03日
久しぶりの投稿になります



先ほど、忙しいという話をしましたが、その忙しさの中からも成長に繋がるような気づきを得ていますので、後はそれを自分の中に噛み砕いて落とし込んで行けるか


今回は、久しぶりの投稿なんだけど、最近感じていることを書き綴ってみました。感じていることを文字にするのって難しい〜って改めて思いました。日頃の習慣なんだろうな〜

人は誰しも生まれつき(自己)防衛本能を持っている。これは、一生命体として生きて行く為に備わっている大切な機能で、自分の身を外敵だと思われるものから守り、安心安全を確保しようとするものである。
この機能が備わっているおかげで、私達は経験を通して身をを守る術を学び、それをデータベース化して保存することにより、それ以後はそのデータベース化したデータと照合し危険だと思われる場合には防衛本能が働く仕組みとなっている。
このようにして、生命の安心安全を保持しているのである。
何を外敵とするかは、幼い頃に経験した出来事が大きく影響している。その経験が、強烈で有れば有るほどデータベースには危険だから気をつけなさい、と登録されているのである。
この防衛本能の中枢を司るのが無意識と呼ばれている領域になる。コンピューターで例えるなら、いわゆる、メインコンピューターだ。この中枢のメインコンピューターは、過去に経験した辛く苦しく悲しい経験を二度としないように、私達の身を危険から守るよう指令を出している。
しかし、メインコンピューターの判断は、過去の経験をデータベース化したものの中から照合し、決定される。そうなると誤作動とまではいかないまでも、常に正しい判断をしているかどうかは疑問である。
過去のデータベースに照らし合わせてしまうということは、過去から現在までの成長を考慮していない。昔の状態でただただ大きくなっただけと見なしているようなものだ。しかし、私達は経験を通して成長するし年を重ねて行く過程で様々な英知を身に付ける。
だから、もしかしたら本当は必要ない場面に於いても自己防衛本能が働いてしまっているかもしれない。
外敵ではないものを(メインコンピューターが)勝手に外敵だと判断してしまっているのだ。メインコンピューターが一旦そういう判断を下すと、それに付随する端末コンピューターである防衛本能はその命令に従うしかない。防衛本能が働くと、本当なら身を守る必要ない場面であったとしても意固地になって身を守ろうとしてしまう。
面白いことに、メインコンピューターが下した判断がおかしいものであったとしても、当の本人はなかなか気付かないし、もし、気付いていたとしても見ない、見えない振りをすることが多い(笑)
なぜなら、例え間違った反応であったとしてもこれまでと同じ様に反応していたら、この先もどうなるのかある程度は予測が付く。しかし、万が一これまでと違う反応(防衛本能を働かせないで自分で反応を選択する)をした場合は、自分がどの様な状況に於かれてしまうのか不安で不安でたまらない。もしかしたら、自分が予想だにしていなかった行動を取ってしまうかもしれない。更に、目の前にいる人達からはこれまでと違った目で見られてしまう可能性だって大いにある。
この様な状況だけは絶対に避けなければならない…。
この様な理由から、私の場合は防衛本能が働くままに(抵抗することなく)、行動をしてきた。
ただ、そろそろ卒業の時期だと感じています。もっと自分自身のことを信じて上げても良いと想うし同じ様に、周りの人達を信頼しても良いと思う。
どうなるか分からない状況というのは物凄く不安だけど、何が起ころうとも自分は自分だ。それは変わらない。そして、こんな自分でも信じて助けてくれる人もいる。これまでは、自分像を理想化しすぎていた為に足が地に付いていなかった。だから、フラフラとさまようことが多かったし、違う自分を演じていた。
大切なことは、違う誰かになることではなくて、本来の自分に戻ること。
それが、始まりであり全てだと思う

Posted by tsu-ka- at 20:28│Comments(0)