限りある命だからこそ‥‥。
先日、悲惨な交通事故(事件)のニュースが放送されていた。本当に見るに耐えない聞くに聞けない何ともやり切れない悲惨なものだった
事件の状況を簡単に説明すると、仕事帰りの看護婦3人が交差点で信号待ちをしていた。そこへ信号無視をした車が猛スピードで交差点に突っ込んで来た。その車は右折する車を避けようとしてハンドル操作を誤った。その車は横転しそのまま信号待ちをしていた彼女たちの命を奪った‥‥。しかも、加害者は免許取り立ての未成年であった…。
このニュースを見た時に感じたことは、加害者への怒りは勿論非常に強く感じましたが、それと同じくらい強く感じたことは、自分もいつ死んでもおかしくない存在なんだという事実を突きつけられたこと。
人間はいずれ寿命で死にます。それは、遅かれ早かれ誰にでも必ずやってきます。寿命ではなくても、病気や今回のように悲惨な事故や事件に巻き込まれて死んでしまう可能性は、特に、事件や事故については、現代社会がおかれている特殊な状況を考えると、いつ起こっても不思議ではない。
しかし、私達は命がいつまでも続くモノであるかが如くに、その有り難さを実感していないし、感謝してない場合が多い。それは、実際に生死に関わるような場面に直面してからでないと実感しにくいものかもしれない。でも、大抵はそのような場面を経験してからでは遅すぎる。既に死んでいるからだ
明日も今日と同じ様に生きている保証なんてないし、明日も今日と同じ様に元気いっぱいかどうかも不明だ。だからこそ今この瞬間を悔いがないように生きることがとても大切。
毎日、夜寝る前に今日遣り残したことはないと想えるほど、1日を精一杯生きでみてはどうだろうか
精一杯生きる。と聞くと、そこまでしなくても良いんじゃないかとか、大変だからほどほどで良いよとか、自分はそこまで情熱的じゃないよ、と言う声が聞こえて来そうです。
そんなことを言う人に、明日が同じ様に遣ってくる保証なんて何処にもない。だから、今日を精一杯生きてと言ったところでなかなかその本質は伝わりにくいだろう。先ほども言ったように生死をさまようほどのインパクトのある体験をしていないからだ。人は、インパクトのある体験をしない限りその価値観はそうそう変わらない。
私は、幸いな事に生死をさまようほどの体験をすることなく、限りある命の有り難さを身に染みて感じることができるようになりました。毎日を精一杯悔いなく生きるように心がけることで、人生が開けて来ます。それがどの様な理由からなのかその仕組みは分かりませんが、限りある命に感謝することなく、人生が開かれて行くことはないだろうと思っています。
限りある命に感謝する。小さなことですが、とても大きな変化をもたらします。